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11.江戸時代の八街

印刷用ページを表示する更新日:2023年3月16日更新 <外部リンク>

江戸時代の八街 1(平成29年1月1日号)​

 慶長(けいちょう)8年(1603)に徳川家康が征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となり、江戸に幕府を開いてから、徳川慶喜が大政奉還(たいせいほうかん)をする慶応(けいおう)3年(1867)までの約260年間を江戸時代と呼んでいます。
 八街の南部地区に「御成街道」と呼ばれる東西に延びる直線道路があります。これは、慶長19年(1614)に徳川家康が東金で鷹狩を行うため、家臣の土井利勝(当時佐倉城主)に命じて造らせた、船橋御殿から東金御殿まで約40kmをほぼ一直線で結ぶ道路です。
 造成に当たっては、街道周辺に所在する97の村々から人々が動員され、3日から数週間かけて造成したといわれています。工事が短期間、夜通しの突貫工事だったことから、別名「一夜街道」「提灯(ちょうちん)街道」とも呼ばれています。
 また、街道の4.7kmごとに距離の目安である「一里塚」が設けられ、途中の千葉市御殿町には「御茶屋御殿(おちゃやごてん)」と呼ばれる休憩所もつくられました。
 徳川家の東金での鷹狩は、家康が2回、秀忠が13回、家光が大納言時代に1回行われていますが、その後は途絶えてしまいます。1671年には東金御殿も廃止され次第に街道も使用されなくなっていきます。
 次回は、八街市内に残る御成街道にかかわる史跡をご紹介します。​


 
経路図
御成街道の経路図

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江戸時代の八街 2(平成29年2月1日号)​

 現在の御成街道の大半は舗装され、当時の面影は残っていませんが、沖地区に所在する「御成街道跡」は、当時の街道の面影を残す貴重な遺跡として、市指定文化財(史跡)に指定されています。
    市内では、3ヵ所の発掘調査を実施しており、その結果、御成街道は、台地に上るときは土を削って「切り通し」にし、谷を渡るときは土を盛った「土橋」がつくられていることがわかりました。土橋は、数cmの厚さに盛った土を何層にもわたり丁寧につき固められて構築されていました。
 また、御成街道の「一里塚」は、船橋-東金間に8ヵ所あったとされていますが、現在では、千葉市千城台東、千葉市富田町、そして八街市上砂地区に残されているのみで、非常に貴重な遺跡として、市指定文化財(史跡)に指定されています。
 その他、徳川家康が昼食を兼ねて休憩したと言われる「蛇田谷(へびたやつ)の険」、そこで使用した杓子(しゃくし)が流れ着いて大樹になったという伝説のある「角谷(すみや)の杓子神」の石碑、御成街道最大の難所で、家康も駕籠(かご)から降りて馬で乗り越えたと伝えられる「馬渡(まわたし)の険」、家康が東金に入る前に乱れた髪をその水で整えたといわれる「びんだらいの池」などの言い伝えが残されています。
 郷土資料館では、御成街道関連の展示があり、
「御成街道散策マップ※」も無料で配布していますので、ぜひご来館ください。
※御成街道マップ内に記載のふれあいバスは月~土曜日(朝便・夕便は土曜日、祝日運休)が運行日です。​


 
御成街道
八街市指定文化財「御成街道跡」
一里塚 図形
御成街道の一里塚【上砂(かみいさご)】(市指定文化財)

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平成26年10月25日に行われた講演会の内容を活字化し、記録集として1冊500円で販売しています。

こうえんかい

江戸時代の八街 3(平成29年3月1日号)​

 江戸時代の下総地域には、台地の比較的高い部分に幕府直轄の馬の牧場が設置されていました。
 現在の野田市から船橋市に至る台地上には小金牧(こがねまき)、香取市から八街市に至る台地上には佐倉牧(さくらまき)がありました。それぞれ、小さな牧場に分かれており、佐倉牧には7つの牧がありました。
 八街市内では、北部に柳沢牧(八街い・ろ・は・に・ほ・朝日・文違301番地)、南部に小間子(おまご)牧(八街へ・四木・滝台・山田台・沖)という牧があり、それぞれ馬が200~300頭ほど放牧されていました。
 また、その周辺地域には、東吉田・吉倉・勢田・砂・上砂・用草・根古谷・岡田・大谷流・小谷流・榎戸新田・大関(おおせき)新田・文違・雁丸新田などの「村」があり、牧場の管理をしていました。
 牧の管理の主なものは、毎日の牧場の見回り、馬の病気や死馬の報告、樹木の伐採、野犬狩り、野馬土手の改修工事などが挙げられます。
 なかでも、野馬捕りの際に、牧場から捕込(とっこめ)まで、馬を追い立てる「追勢子人足(おいせこにんそく)」の役目は大きな負担となっていました。
次回は、牧の年中行事中、最大のイベントである「野馬捕り」について取り上げます。


 
まき
千葉県北部に所在した小金牧と佐倉牧

 

江戸時代の八街 4(平成29年4月1日号)​

 牧場の年中行事として、最重要視されたのが、毎年旧暦の7~9月に行われる野馬捕りでした。野馬捕りは、当歳馬(その年に生まれた馬)の生育と牧周辺の村々の農繁期を考慮して田植え・麦刈りの終わった頃に行われました。
 ここでは、小間子牧で行われた野馬捕りの様子をみてみましょう。
 八街市沖と千葉市若葉区小間子町の境に周辺の村々から集められた勢子人足が約1mの棒を持って一列に並び、一斉に地面にたたきつける事で馬を驚かせつつ、徐々に、山田台方面へ追い込んでいきます。二州小学校付近から北上して、小間子馬神社付近で一日目は終了します。
 馬が逆走してこないように、松明(たいまつ)を持って夜中番をしたといわれる野馬土手があり、地元では「夜番(よばん)土手」と呼ばれています。
 翌日はさらに北上して笹引地区で馬をUターンさせ、大込(袋込)に馬を追い込みます。これに関連して「駒返(こまがえし)」という地名も生まれました。
 最終的には、笹引地区と東金市の境にある捕込(とっこめ)と呼ばれる施設に馬を集めて、馬の数を数えたり、当歳馬には牧ごとに決められた焼印(柳沢牧は団扇形、小間子牧は分銅形)を押し、払い下げる馬と牧に戻す馬を仕分けます。
 野馬捕りの様子をイラストにしてみました。画面中央には、捕手が馬乗りになり、馬のお尻に焼印を押す様子、右上には、役人が見分している小屋、手前の土手にはたくさんの見物客が描かれています。​


 
補馬 やきいん
小間子牧の補馬のようす 焼き印の種類
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江戸時代の八街 5(平成29年5月1日号)​

 今回は、江戸時代の始めに、八街に足跡を残した偉人「鈴木正三(すずきしょうさん)」についてご紹介します。
 鈴木正三は、戦国時代末期に現在の愛知県豊田市足助町に生まれ、徳川家康の旗本として関ヶ原の戦いにも参加しますが、武士の身分を捨てて曹洞宗の禅僧となります。恩真寺(豊田市)を拠点として各地で布教活動を行いますが、島原の乱の後に、天草・島原地方の民衆がキリスト教から仏教へ改宗することに尽力します。
 また、正三は、その思想の概要である『盲安杖(もうあんじょう)』や職業倫理心得を記した『万民徳用』などを著し、現代社会に通じる思想家としても注目されています。
 さて、正三と八街の関係ですが、正三の弟子恵中(えちゅう)の記した『石平道人四相(せきへいどうじんしそう)』によれば、「徳川家康が関東転封時に上総国塩子村に移住」したとあります。
 「上総国」は下総国の誤りで、「塩子」は佐倉市七曲・西御門、八街市根古谷・岡田地区の古い呼び名です。
 江戸時代の初めに、正三が根古谷周辺に領地をもらい、住んでいた可能性があるのです。残念ながら、千葉県内に伝わる古文書からは八街での足跡が確認できませんが、千葉・船橋・市原市に旗本鈴木氏の領地があったことが確認されています。
 八街市内には、正三の痕跡として、吉倉吉蔵寺(きちぞうじ)に「・・寛文九己酉(きゆう)年十月下旬下之総之州佐倉之郷於塔隣禅庵・・」の記載のある卵塔が残されているのみです。


 
卵塔
𠮷蔵寺の卵塔

 

江戸時代の八街 6(平成29年6月1日号)​

 江戸時代の千葉県北部には、小金牧と佐倉牧という馬の牧場がありました。これらの牧場を舞台に、徳川将軍家の鹿狩(ししがり)が4度行われました。八代将軍吉宗の時に2回、十一代将軍家斉(いえなり)と十二代将軍家慶(いえよし)の時にそれぞれ1回実施されました。
 この鹿狩は、大勢の人足を動員して、農村の畑を荒らす鹿(カノシシ)や猪(イノシシ)などのシシ(獣の総称)を遠方から追い込んで駆除するとともに、軍事訓練を目的として行われました。
 なかでも、嘉永2年(1849)に小金五牧のうちの中野牧(現松戸市)で行われた十二代将軍家慶の鹿狩は、2万5千人の武士と381ヶ村6万3千人の農民が動員され、最も大きなイベントとなりました。シシを追い立てるための人足は、小金牧だけでなく佐倉牧の野付村(のつけむら)からも動員され、この行事に参加したといわれています。
 八街市内に所在した稲葉村の酒和紋三郎も人足として参加し、無事帰村したことを感謝して、鹿狩の様子を絵師に描かせ、稲葉神明社に奉納した額絵馬が残されており、平成4年に市指定文化財となっています。
 また、その描かれた内容の歴史的価値や精巧さ、色合いなどが評価され、平成27年に「小金原のしし狩り資料」として県指定文化財に格上げとなっています。


 
しかがり
県指定文化財 額絵馬「鹿狩の図」

 

江戸時代の八街 7(平成29年7月1日号)​

 榎戸大宮神社には、江戸時代の初め頃から伝わる伝統的な獅子舞があります。当時佐倉城主であった土井利勝が、榎戸新田村の開発とともに、村民に娯楽を与えようと佐倉地方から導入したと伝えられる三匹獅子舞で、近隣では、酒々井町墨地区や馬橋地区でも行われています。これら獅子舞は、幾度かの存続の危機を乗り越えながら、天下太平・五穀豊穣を願って地域の人々に受け継がれてきたものです。
 八街市では、文違地区でも獅子舞が行われていましたが、明治時代の初め頃、獅子舞の道具を保管していた浄星院(じょうせいいん)という寺が火災にあい、廃止されてしまったため、榎戸獅子舞は市内唯一で貴重であることから、昭和54年に「市指定無形民俗文化財」に指定され、榎戸獅子舞保存会も発足しています。
 最近では、2年に1度、10月19日の榎戸大宮神社の祭礼で奉納されており、保存会の活動としては、八街北小学校5年生の授業の中で榎戸獅子舞の指導を行い、子どもたちへの伝承にも力を入れています。
 榎戸獅子舞は、始めに、雌獅子、中獅子、雄獅子それぞれが舞い、次に中獅子による「幣束(へいそく)抜き」、次に雄獅子による「剣の舞」、最後に三匹が舞い踊る「ブッソロイ」で舞い納めます。
 現在保存会の活動は、残念ながら平成28年度をもって一時休会となっています。


 
ししまい きたしょう
市指定文化財
榎戸獅子舞(雄獅子による剣の舞)
八街北小学校児童による獅子舞

 

江戸時代の八街 8(平成29年8月1日号)​

 江戸時代の享保年間(1716~1736)以降、塩古(しおこ)地区(八街市根古谷・岡田、佐倉市西御門、七曲周辺)では、農閑期の副業として篠竹製のざるの生産が盛んでした。
 9~11月に、篠竹を柄の長い「篠切り鎌」で約2mの長さに伐採し、枝葉を「小鎌」で払い、4~6ヶ月程濡れムシロで覆って寝かせておきます。3月になると、篠竹を1mの長さに切って、「ひねさぎ」という刀の先端を20cm程度に切り取った道具を使って4分割します。4分割したものを「へご作り機」で皮目を剥ぎ、皮目の部分を1升・5升ざるとして、身の部分は「小ざる」を作る際に使用します。
 このような作業を繰り返し、大量の「へご」を作り置きし、使うときに水に浸して柔らかくしてから、様々な大きさのざるを編んでいきます。これらのざるを製作地の名前から「塩古(しおこ・しょーご)ざる」と呼んでいます。
 大正7年には、8万4千個あまりが生産されていたと記録されており、広く家庭用として使われたほか、東京や木更津ののり養殖でも使用されていたといわれています。
 その後、プラスチックや金属製のざるが、丈夫で安価なため、篠竹製のざるは使用されなくなり、製作する人も少なくなってしまいました。
 そこで、昭和54年にその製作技術について、町指定無形民俗文化財として指定して保護してきましたが、塩古ざるを製作できる最後の方が亡くなったため、平成20年に「塩古ざると製作資料」として市指定有形民俗文化財に指定替えとなりました。


 
しおこざる
塩古ざると製作資料

江戸時代の八街 9(平成29年9月1日号)​

  八街市内には、村の人々の様々な信仰によって建立された石造物が多数残されています。なかでも、八街市域には、柳沢牧と小間子牧という馬の牧場が所在していたため、馬頭観世音が祀られていることが多く、江戸時代から現在までに馬頭観世音が50基も建立されています。
 岡田地区には馬頭観世音堂があり、かつては、関東各地から参拝者が訪れ、祭礼時には大変な賑わいをみせていたといわれています。
 祭礼で掲揚されていた幟(のぼり)は、文久3(1863)年に作成され、篆書体(てんしょたい)で「馬頭観世音菩薩」と記されており、現存する幟としては、市内最古で貴重なため、平成10年に市指定有形民俗文化財に指定されています。
 また、根古谷地区には、安永3(1774)年11月に建立された、馬頭観世音菩薩像を半肉彫りした石造物があり、彫りも深く精緻な観音像で貴重なため、平成4年に市指定有形文化財に指定されています。


 
かんのんぞう のぼり
馬頭観音菩薩像 岡田馬頭観音幟

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