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2.旧石器時代の八街
旧石器時代の八街 1(平成26年10月1日号)
八街では、約3万年前から1万2千年前頃の遺跡が23か所もみつかっています。
これらの遺跡の立地から、人々は台地の縁辺部を中心に生活を営んでいたことがわかります。
この時代は、石を打ち欠いて作った打製石器が主に使われていたことから「旧石器時代」と呼ばれています。この時代の環境の復元は非常に難しいものですが、遺跡に堆積した土中の花粉分析などをとおして徐々にその内容が明らかになってきています。
当時の生活のようすをイラストにしてみました。人々は定住することなく、食料となる動物を追い求め、移動生活を送っていました。住まいは簡単なつくりのテントで、焚き火の周りでは調理や石器製作、手前では毛皮をなめしています。遠くでは火山が噴火し、河川に沿って針葉樹の樹林帯が広がっています。なお、当時の気温は、今より6~8度も低かったと考えられています。
旧石器時代のイメージ図 |
石器の使い方 |
八街市内旧石器時代 石器のうつりかわり(図をクリックすると大きくなります) |
石器時代の八街 2(平成26年11月1日号)
旧石器時代の終わりから縄文時代の初めにかけて「尖頭器(せんとうき)」と呼ばれる「槍(やり)の先に付けるための石器」が大型化して、なかには20cmを超えるものも見られるようになります。
八街市内からも、住野藤株遺跡や上砂布田道遺跡で見つかっています。
住野地区の元駒場2遺跡からは、印旛郡最大で、県内でも松戸市子和清水遺跡に次ぐ2番目に大きな尖頭器(写真)が見つかっており注目されています。大きさは、縦18.8cm、横5.4cm、厚さ1.4cmで、ホルンフェルスという石材を使用しています。
当時の狩りのようすをイラストにしてみました。大型の石器を付けた槍を持った狩人が、風下の茂みからシカを捕まえようと狙っています。
旧石器時代の人々は、このような石器を利用して狩りを行い、生活していたものと考えられています。
狩りのようす |
元駒場2遺跡出土尖頭器(印旛郡最大) (郷土資料館保管) |
旧石器時代の八街 3(平成26年12月1日号)
榎戸小富遺跡は、榎戸サッカー場を造る前に発掘調査した遺跡です。ここからは「ナイフ形石器」「石核」「剥片(はくへん)」「使用痕のある剥片」など様々な旧石器時代の石器が見つかっています。「ナイフ形石器」は、狩猟で得た獲物の皮をはいだり肉を切ったりします。「剥片」は、石器を作る際にできた石の破片で、石器として使用した痕跡のある剥片も見つかっています。また、「石核」は、石器を作る際に剥片を剥ぎ取った石の芯に当たる部分の塊です。
石器づくりのようすをイラストにしてみました。材料は河原などで採集し、他の石で叩いて割って作ります。細かい部分は鹿の角などを使って整形します。
次回からは「縄文時代の八街」となります。
石器づくりのようす |
榎戸小富遺跡出土石器 |
石材の原産地とその流通(図をクリックすると大きくなります) (『図解 八街の歴史』抜粋) |
本物の石器に触ってみよう!
郷土資料館では、触ることができる本物の石器・貝化石・土器を用意しています。
興味のある方はぜひ職員にお声がけください。
郷土資料館刊行:『図解 八街の歴史』
イラスト・写真を多用した、見て楽しみながら八街の歴史を学べる図書を1冊1,000円で販売しています。「八街歴史探訪」にて使用したイラストも掲載されています。