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15.平成時代の八街
平成時代の八街 1(平成31年2月1日号)
昭和60年以降の旧八街町は、住民の生活環境や社会環境に大きな変化が見られるようになりました。特に人口増加は、昭和55年の31,939人に対し、昭和60年には37,532人(17.5%増)となり、平成2年には50,036人(33.3%増)と著しい伸びを示しました。そして、泉台やみどり台など宅地造成による市街地の形成や、都市的施設の整備が充実し、旧八街町は都市的形態に変化していきました。
このような背景があり、平成元年頃から町内各地で開かれる町制座談会や、議会の一般質問などで市制問題が取り上げられ、平成3年2月に実施した「市制についてのアンケート調査」では、回答者の80%が市制施行に賛成を示し、その他にも町内において市制に関する住民懇談会を開催したところ、市制施行を求める多数の意見を得ました。
こうした住民意識の高まりに応えるため、同年9月に開催した第6回八街町議会定例会において「八街町を八街市とすること10月3日に全会一致で議決され、千葉県知事宛に市制施行の申請書を提出しました。
市制施行の申請には、人口増加にともなって多様化される行政サービスの水準向上や、住民福祉の一層の増進、そして商業活動の活性化など町の発展という目的がありました。
そして平成4年4月1日に、全国で662番目、県内では30番目の市として「八街市」が誕生することとなりました。
八街市開市式 |
平成時代の八街 2(平成31年3月1日号)
「平成」という元号から新たな元号を迎えるまで残りわずかとなりました。私たちにとって進行形であった「平成」が「平成時代」という一つの歴史になろうとしています。
31年という平成時代の八街を振り返ってみると、平成4(1992)年に「八街市」が誕生してから、様々な発展を遂げてきました。同4年にはスポーツプラザを完成させ、同8年には総合保健福祉センターを新築し、同11年には駅南口にけやきの森公園を整備しました。
そして、八街市にとって一つの画期となったのが、14年の八街駅の橋上化事業の着手と駅北側の区画整理事業です。八街駅の橋上化は17年に完成し、駅南北に繋がる自由通路の開通や新たな駅舎は、市民の利便性を格段に向上させました。その後、駅北側のロータリー完成や住宅地が増加するなど中心市街地がしだいに形成されていきました。
また、最近では八街バイパスの一部開通や榎戸駅の橋上化事業が完成するなど、住みよい街に向け、八街は今も発展し続けています。
さて、太古から平成まで55回にわたり連載してきました「八街歴史探訪」は今回をもちまして終了させていただきます。これまでの連載を通じて、各時代の八街はどのような姿をしていたのか、どのような歴史があったのかを知っていただけましたら幸いです。
今まで連載してきた「八街歴史探訪」のまとめたものを、郷土資料館にて配布しております。興味のある方は、ご来館ください。
毎回、多くの皆さまにご愛読いただきましたこと、執筆者一同、心より御礼申し上げます。
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