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13.大正時代の八街
大正時代の八街(平成30年8月1日号)
大正から昭和初期にかけて、八街には「軽便鉄道」が走っていました。この軽便鉄道の敷設背景には、明治40(1907)年に新設された「鉄道聯隊(れんたい)」の存在がありました。
鉄道聯隊とは、戦時における弾薬や兵士の食料などの物資輸送を目的とした陸軍の鉄道敷設部隊のことです。
当時の千葉県知事有吉忠一(第11代)は、都市間の連絡や千葉県内の交通網の拡充を図るために、鉄道聯隊による鉄道敷設軍事演習の名目で県内に鉄道を敷設することを立案しました。
大正2年には、鉄道聯隊が四街道から八街(沖・山田台・四木・笹引・朝日)、富里、三里塚方面にかけて線路敷設の大演習を行いました。演習の終了後、八街では朝日以南の線路を撤去して、翌3年5月に八街駅から富里を経由して三里塚に至るルートを県営軽便鉄道八街線(13.8km)として運行を開始しました。
昭和11年頃の八街線は、八街-三里塚間を43分で1日7往復、運賃は30銭で運行していました。4月の観桜期には三里塚まで花見に向かう客でとても賑わっていたといわれています。昭和14年には、八街に陸軍の飛行場建設が始まることとなり、八街線は廃線することとなりますが、この軽便鉄道が敷設されたことで、人の動きを活発化させ、まちを豊かにさせる原動力として機能していたのです。
郷土資料館には軽便鉄道が敷設されていた跡のわかる地図資料もありますので、興味のある方は是非ご来館ください。
軽便鉄道写真 |
郷土資料館刊行:『図解 八街の歴史』
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