苦難の開拓に始まった近世以降の八街のあゆみ

開拓のはじまり
 明治の始め、維新によって職を失った旧幕臣・武士階級の人たちは、士族として僅かながらの家禄を政府から受けていましたが、多くは困窮を極めていました。そこで、明治新政府は士族救済のために農業・商工業へ就業させる士族授産対策の一つとして、北海道開拓に代表される、新たな農地の開拓を図ったのです。
 千葉県では小金牧・佐倉牧が営まれていた原野を農地として開墾しました。
 開墾は小金牧から入植が開始され、最初に開墾された地は初富と名付けられました。以降、開墾地には着手の順序と吉祥の意味を持つ文字を組み合わせた字名が付けられ、二和、三咲、豊四季、五香、六実、七栄、八街、九美上、十倉、十余一、十余二、十余三の地が開墾されました。この八番目に開墾された地が、現在の八街市の始まりです。
農地の開墾
 八街への入植は、明治3(1870)年4月から開墾会社の主導によって開始されましたが、原野の開墾は困難を極めました。農作業の経験のない入植者による開墾は効率も悪く、強風や悪天候も重なったことで、多くの脱落者を招き、開墾会社は当初の目的を達成することなく、明治5年に解散してしまいました。開墾地は入植者と旧会社員に払い下げられ、その後、農業経験者が入植し、再び開墾が進められました。
八街の産業
 明治の始め、開墾が徐々に成果をあげていたころの八街では製茶業が最盛期を迎えます。
 開墾当初から、防風・防砂のため、お茶の木が植えられ、明治20年ごろには八街の全域に茶畑が広がり、八街園、松林園、同協社の茶園は繁栄を極めました。なかでも同協社は、富山区に入植した元佐倉藩士らによって経営され、「富山の茶」として全国的に知られていました。
 明治の半ば以降になると千葉県では養蚕業が盛んになりました。明治30年ごろには八街にも養蚕技術が普及し、茶畑を桑畑へと切り替える人が多くなり、生糸の代謝製品が普及する昭和の始めごろまで、八街の主要な産業として養蚕が営まれていました。
 八街の主要作物となる落花生が導入されたのは、明治29年ごろのことです。落花生栽培は砂質土壌である干潟・旭方面が主でしたが、文違区、住野区で始められ、大正・昭和と急速に普及し、昭和24年の落花生の作付面積は約3200ha(全耕作地80%)を占め、日本一の生産高を誇りました。
 このころから「八街の落花生」が全国に知られるようになりました。
七十二町歩開墾成功碑

 豊川稲荷神社の境内には72町歩に及ぶ広大な山林の開墾に従事した人々の苦労を偲ぶ碑が建っています。

カイコがつくる繭の収穫
総武鉄道(八街駅)
八街駅付近
軽便鉄道
鉄道の開通と物流
 明治の半ば、総武鉄道の開通により、八街は開拓地として、一つの転機を迎えます。
 明治22年に総州鉄道・武総鉄道の2社が合同で総武鉄道株式会社を設立し、水運と競合しない内陸を通り、佐倉や開墾地への敷設を条件に鉄道建設が許可されました。まもなく工事は着手され、明治27年には本所、佐倉間が開通、同30年には八街を経由し、銚子までの全線が開通しました。
 鉄道の開通は、八街の農業を一変させました。これまでの農作物の生産地としてだけでなく、農作物の集散地として、近隣の農産地から農作物が八街駅へ集められ、消費地へ輸送されるようになりました。
 この発展は、さまざまな業種の人々を呼び寄せ、市街地を作り出し、八街は交通と物流の拠点となりました。
 また、大正3年5月には、八街、三里塚間に軽便鉄道が開通しました。この軽便鉄道は、大正2年に行われた陸軍鉄道連隊の演習のために敷設され、翌年、千葉県に払い下げられたものです。総武鉄道とともに農作物の運搬や旅客者の足として活用されましたが、昭和14年、朝日区に陸軍下志津飛行学校八街分教場(八街飛行場)が建設されるときに廃止されました。
八街町川上村の合併を祝した横断幕
八街町役場川上支所
八街市への歩み
 平成14年、市制施行10周年を迎えた八街市は現在の形になるまで、いくつもの合併を繰り返してきました。
 明治5年、開墾地が東京府から印旛県へ引き渡されたことによって、正式に「八街村」が誕生しました。当初、柳沢牧と小間子牧地域だけで誕生した八街村も、明治22年に文違、雁丸、榎戸、大関村などと合併しました。そして、大正8年、町制施行により「八街町」となりました。
 一方、旧佐倉藩領・旗本領であった市内の南西部地域は明治11年の郡区編制法により根古谷、岡田、用草、大谷流、小谷流村と、東吉田、上砂、砂、勢田、吉倉村が、それぞれ連合組織を作り、明治22年、10カ村が合併して「川上村」が誕生しました。
 戦後、地方自治制度の改革として、全国の町村規模の適正化が図られ、昭和28年に町村合併促進法が公布されました。千葉県でも町村合併が進み、284の自治体が合併により105市町村へと改められ、昭和29年11月1日、「八街町」と「川上村」が合併し、新たな「八街町」が誕生しました。合併当初は、約2万5千人であった住民も、平成2年には5万人を超え、平成4年、全国で662番目、県内では30番目の市として「八街市」が誕生しました。
国民体育大会(若潮国体)炬火リレー 中国い坊市と覚書を締結
旧石器
前3万年ごろ 石刃技法がもたらされる
【榎戸小富遺跡】【一之綱1遺跡】【元駒場遺跡】
縄 文
前1万年ごろ
前7千年ごろ
前4千年ごろ
前3千年ごろ
縄文土器が作られ始める
竪穴住居の集落が形成される【榎戸第1遺跡】
関東の内陸部まで貝塚が形成される
【呉舞台遺跡】【藤株遺跡】
弥 生
紀元前後 水稲栽培が始まる
鹿島川下流域に集落が集まる
古 墳
450年ごろ
550〜600年ごろ
鹿島川中流域まで集落が拡大する【用草宮ノ前遺跡】【藤株4遺跡】
【宮前古墳】【麾拝塚古墳】
奈 良
700年ごろ
750年ごろ
中央集権国家が確立する〔全国に国・郡・里を設ける〕
【滝台遺跡】【滝沢遺跡〔「山邊郡印」が出土〕】
平 安
800年ごろ 鹿島川上流域まで集落が拡大する
【一之綱2遺跡・一之綱3遺跡〔「寺」の文字が書かれた墨書土器が出土〕】
鎌 倉
1186(文治2)年ごろ
1249(建長元)年ごろ
1264(文永元)年
延暦寺日吉大社領白井荘が形成される(川上地区)
岡田村でさまざまな災厄が降りかかる「白馬ののろい」
日蓮上人が「白馬ののろい」を救う
室 町
1349(貞和5)年
1363(貞治2)年
1456(康正2)年
1457(長禄元)年
1473(文明5)年
1499(明応8)年
1506(永正3)年
1558(永禄元)年
1570(元亀元)年
1573(天正元)年
長寿寺〔後の永福寺〕の鰐口が作られる(小谷流区)
白井荘塩古六所宮に大般若経の写経が奉納される
日意上人が根古谷城主の子息の難病を治す
法宣寺が創建される(根古谷区)
七里法華の改宗により長寿寺は顕本法華宗に改宗し永福寺となる
岡田観音堂が創建される(岡田区)
最成寺が創建される(東吉田区)
北条氏政が下総に牧を設置する
大谷流神明社が創建される(大谷流区)
真福寺が創建される(用草区)
稲葉神明社が創建される(小谷流区)
用草自在天堂〔後の皇産霊神社〕が創建される(用草区)
安土桃山
1583(天正11)年
1591(天正19)年
北条氏政が牧士制度を設ける
用草村で検地が行なわれる【太閤検地】
江 戸
慶長年間
1613(慶長18)年
寛永年間
1642(寛永19)年
1644(正保元)年ごろ
1662(寛文2)年
1669(寛文9)年
1688(元禄元)年
1704(宝永元)年
1707(宝永4)年
1722(享保4)年
享保年間
1741(元文6)年
1774(安永3)年
1792(寛政4)年
1849(嘉永2)年
1856(安政3)年
榎戸新田が開発される
徳川家康が江戸から東金までを結ぶ街道を造らせる【御成街道】
新蔵寺が創建される(榎戸区)
堀田正盛が佐倉城主となる
文違村の綿貫右馬之助が牧士となる
柳沢牧と小間子牧の分割により佐倉牧が七牧となる
雁丸新田が開発される
客人神社が創建される(東吉田区)
幕府が勢田村と用草村の地境争論を調停する
子の神神社に獅子舞が奉納される(文違区)
柳沢牧が佐倉藩の管理となる
塩古ざるの製作が始まる(根古谷区)
如意輪観音が建立される(文違区)
馬頭観世音が建立される(根古谷区)
松平定信が牧士の改革を行う
稲葉神明社に絵馬「鹿狩図」が奉納される(小谷流区)
用草村と岡田村との間で虫送塚についての争論が起こる
明 治
1869(明治2)年
1870(明治3)年
1871(明治4)年

1872(明治5)年


1873(明治6)年
1874(明治7)年
1878(明治11)年
1879(明治12)年
1880(明治13)年

1882(明治15)年
1883(明治16)年
1884(明治17)年

1887(明治20)年ごろ
1888(明治21)年

1889(明治22)年
1890(明治23)年
1891(明治24)年
1892(明治25)年
1893(明治26)年
1896(明治29)年ごろ
1897(明治30)年
1901(明治34)年
1903(明治36)年
明治新政府が開墾局を開庁する
4月 八街への入植が開始される〔8月1日完了〕
4月 廃藩置県により佐倉藩は佐倉県となる
11月 県の統廃合により佐倉県は印旛県となる
元佐倉藩士が富山に入植し同協社を結社する〔製茶業を営む〕
5月30日 開墾会社が解散する
11月2日 八街村が誕生する
6月15日 木更津県と印旛県が合併して千葉県となる
稲葉村が小谷流村と合併する
大谷流村ほか4カ村、吉倉村ほか4カ村が連合となる
第百四十三国立銀行が設立される(山田台区)
八街村に初めて地券が授与される
八街郵便受取所が開設される
明治天皇が滝台地区で軍事大演習を総覧する
開墾授産処分が終了する
用草村ほか9カ村、八街村ほか4カ村が連合となる
皇産霊神社に俳句を献額する(用草区)
文違麦つき踊が始まる(文違区)
用草小学校と住蒼小学校が合併し大谷流尋常小学校となる
市制・町村制が公布される
第一次町村合併により川上村と八街村が誕生する
八街村民500人が官有地附を請願する
不動院が創建される(六区)
滝台地区で養蚕が始まる
法宣寺の涅槃図が完成する(根古谷区)
落花生の栽培が開始される
総武鉄道が全線開通する〔八街駅が開設〕
八街地区の地価修正が完了する
豊川稲荷神社の境内に地価修正記念碑が建立される(四区)
大 正
1913(大正2)年
1914(大正3)年

1916(大正5)年
1919(大正8)年
1920(大正9)年
1922(大正11)年
1923(大正12)年

1924(大正13)年
1926(大正15)年
鉄道連隊演習用の軽便鉄道を敷設する
軽便鉄道が千葉県に払い下げられ、県営軽便鉄道が開通する〔八街、三里塚間〕
川上村青年団が発足する
八街村の紋章を制定する
1月1日 町制施行により八街町となる
豊川稲荷神社の境内に七十二町歩開墾成功碑が建立される(文違区)
富山同協社が解散する
関東大震災
八街農林学園が創立される
繭市場が設立される(三区)
八街郵便局で電話交換業務が開始される
昭 和
1929(昭和4)年

1935(昭和10)年
1939(昭和14)年

1940(昭和15)年


1942(昭和17)年
1945(昭和20)年

1946(昭和21)年

1947(昭和22)年
1948(昭和23)年
1949(昭和24)年


1950(昭和25)年
1953(昭和28)年
1954(昭和29)年

1956(昭和31)年

1958(昭和33)年


1959(昭和34)年

1963(昭和38)年
1964(昭和39)年

1967(昭和42)年

1969(昭和44)年

1970(昭和45)年
1972(昭和47)年

1973(昭和48)年
1974(昭和49)年

1976(昭和51)年
1977(昭和52)年



1978(昭和53)年
1979(昭和54)年
1980(昭和55)年

1981(昭和56)年
1982(昭和57)年

1984(昭和59)年

1985(昭和60)年
1986(昭和61)年
1987(昭和62)年
南部産業組合が創設される
浅間山の噴火による降灰で茶畑や桑畑に大被害を被る
豊川稲荷神社(住野区)と太子堂(文違区)が創建される
陸軍飛行場を設置するため文違・古込地区を買収する
軽便鉄道が廃止される
川上郵便局が設置される
陸軍下志津飛行学校八街分教場〔八街飛行場〕が設立される
小間子地区で自作農の創設運動が始まる
八街町農業会と川上村農業会が発足する
太平洋戦争終戦
陸軍下志津飛行学校八街分教場〔八街飛行場〕が閉鎖される
町立八街高等女学校が開校する
東京都八街学園が設置される
八街町新消防団と自治体警察が発足する
八街農林学園が八街農林学園高等学校となる
町立八街高等女学校を町立八街高等学校に改称する
八街少年院が設置される
旧八街飛行場跡地に朝日区が新設される
町立八街高等学校を県に移管し県立佐倉第二高等学校八街校舎となる
八街商工会議所が開所される
日向村大木・木原の一部を八街町に編入する
11月1日 八街町と川上村が合併し八街町となる
山武町沖渡の一部を八街町に編入する
八街町役場川上支所を廃止する
県立佐倉第二高等学校八街校舎を県立八街高等学校に改称する
榎戸駅が開設される
千葉県農業試験場落花生育種研究室が八街町に移転する
有線放送が町営となる
上水道の給水を開始する
八街中央中学校が開校する〔朝陽、交進、二州、川上の4中学校は統合で廃止〕
町章を制定する
図書館が開館する
八街電報電話局が開局する
滝沢遺跡で「山邊郡印」が出土する(滝台区)
学校給食センターの業務を開始する
八街開拓100年記念式典を挙行する
ごみ焼却場が完成する
有線放送を廃止する
佐倉市外二町消防組合八街分署が完成する
国民体育大会〔若潮国体〕の一般男子ソフトボール会場となる
上水道第二配水場が完成する
総武本線の電化が完成する〔佐倉、銚子間〕
母子健康センターが完成する
八街農協と南部農協が合併し八街町農業協同組合となる
母子健康センターを総合保健センターに改称する
佐倉市外二町消防組合八街南部出張所が完成する
八街農林学園高等学校が八街学園高等学校に改称する
老人福祉センターが完成する
社会福祉法人八街町社会福祉協議会が発足する
中央公民館が開館する
中央公園が完成する
移動図書館車ひばり号が運行を開始する
八街駅ホームの上屋が完成する
八街東小学校が開校する
第8回全国消防操法大会で第25分団が小型ポンプ部準優勝
第9回全国消防操法大会で第26分団がポンプ自動車部優勝
クリーンセンターが完成する
第10回全国消防操法大会で第3分団がポンプ自動車部優勝
中央公民館用草分館が完成する
八街南中学校が開校する
千葉県東方沖地震で多くの町民が屋根瓦の被害を受ける
郷土史料館が開館する
平 成
1989(平成元)年

1990(平成2)年

1991(平成3)年

1992(平成4)年



1993(平成5)年

1994(平成6)年
1995(平成7)年

1996(平成8)年

1997(平成9)年


1998(平成10)年

1999(平成11)年


2000(平成12)年

2001(平成13)年


2002(平成14)年




2003(平成15)年
公共下水道の供用を開始する
中央グラウンドの夜間照明施設が完成する
新学校給食センターが完成する
住民登録人口が5万人を超える
八街駅始発の快速電車が運行を開始する
新図書館が開館する
4月1日 市制施行により八街市となる
八街北小学校が開校する
スポーツプラザが完成する
市民憲章を制定する
新北部グラウンドが完成する
市制施行記念のタイムカプセル「八街夢飛行船」を埋設する〔20年後に開封〕
福祉作業所が開所する
新移動図書館車ひばり号が運行を開始する
八街学園高等学校が千葉黎明高等学校に改称する
総合保健福祉センターが完成する
社団法人八街市シルバー人材センターが発足する
八街北中学校が開校する
簡易マザーズホーム「つくし園」が開園する
住民登録人口が7万人を超える
学校給食センター第二調理場が稼働を開始する
実住保育園に子育て支援センターを開設する
一般廃棄物最終処分場が完成する
市内循環「ふれあいバス」の運行を開始する
けやきの森公園が完成する
佐倉警察署榎戸交番が開設する
榎戸サッカー場が完成する
市内循環「ふれあいバス」西コースの運行を新たに開始する
中華人民共和国山東省い坊市と文化交流を柱とする友好協力関係を築くための覚書を締結する
4月1日 市制施行10周年を迎える
4月27日 市制施行10周年記念式典を挙行する
二州小学校の新校舎が完成する
佐倉警察署吉倉交番が開設する
八街駅の自由通路・駅舎橋上化事業に着手する
新クリーンセンターの工場棟が稼働を開始する
二州第二保育園の新園舎が完成する

<<Back   Next >>

Contents

Top