八街という名称は、明治新政府の政策により徳川幕府の放牧地であった小金・佐倉両牧の開墾に際し、開墾局が開墾に着手した順序によって命名された字名によるものです。
これらの字名は、初富(鎌ヶ谷市)、二和・三咲(船橋市)、豊四季(柏市)、五香・六実(松戸市)、七栄(富里市)、八街、九美上(佐原市)、十倉(富里市)、十余一(白井市)、十余二(柏市)、十余三(成田市)で、明治5年11月2日にそれぞれの村が誕生しました。
 八街市は、幕府の馬牧場(牧)であった柳沢牧・小間子牧の開墾地を中心に、明治・昭和の二回にわたる隣接の町村との合併を経て成立したまちです。
 戦国時代末期に、北条氏が千葉氏に命じて下総の地を牧として管理させました。江戸時代、幕府は下総の牧を小金牧、佐倉牧に分けて運営し、八街市には佐倉牧の中の柳沢牧と小間子牧が所在していました。そして明治新政府の開拓がこの地に始まります。
 明治3年、開墾会社のもとで始まった八街の開拓は苦難の道のりでした。困難を極めた荒地の開墾、過酷な自然条件のなかで、多くの脱落者がでて、開墾会社も二年後の明治5年には、早々に解散してしまったのです。その後、農業経験者による入植が再び始まり、徐々に成果を上げていきました。
 鉄道の開通が八街を大きく発展させました。総武鉄道建設のうわさが流れると、にわかに活気を呈し移住者が集まってきました。明治30年、総武鉄道が開通すると、八街は農産物の集散地として成長し、今日の発展の契機となりました。

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